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東急不買運動の主張・論説

東急リバブル及び東急不動産に関しては、信じられないようなトラブルが次々と明るみに出ている。今まで一般に公開されてこなかった情報が次から次へと出てきている。物件に関する不利な情報を買主に説明しないで、問題物件を売却してしまうという売主としての信用を疑うトラブルもある。特に最近は手口が悪質、巧妙化している。「一体どうなっているのか」と思わず呟きたくなる。余りといえば余りな醜態である。都合の悪い事実を隠して販売するのがお家芸と言えるかもしれない。

しかも、これは氷山の一角に過ぎず、その裏には膨大な数のトラブルが潜むと言われている。消費者被害を受けた消費者のうちで、消費生活センターなどの相談窓口に行く人の割合は大変少ない。消費生活センターなど役所の相談窓口に苦情を申し出た人は僅か2.1%である(国民生活センター、第29回国民生活動向調査、1999年4月27日)。

弁護士に相談することもしない。長々と込み入った文章からなる重要事項説明書を見せられて、泣き寝入りしてしまう。何十万人、何百万人という善良な市民が、東急リバブル東急不動産の金儲けという汚い目的の為に騙され、困難な人生を送らざるを得ない状況に追い込まれている。

被害者の屍累々たる上に今日の東急リバブル・東急不動産が存在する。その数は銀河の星星か、ガンジス川の砂粒か。ベーブルースと長嶋茂雄と王貞治が打ったホームラン数を軽く上回るに違いない。たとえFBIとCIAとMI5とKGBとゲシュタポが協力したとしても東急リバブル東急不動産の騙し売り行為の全てを把握することは不可能であろう。

東急リバブル東急不動産の悪事を洗い出したら、大型洗濯機で洗っても洗い尽くせないほど、次から次へと果てることなく無尽蔵に出てくるだろう。東急リバブル東急不動産の悪事をデータベース化したら、悪の見本市とでも言えるものができるだろう。

他にも都合の悪い事実を隠して屑物件を販売した可能性は十分にある。消費者が「まだ何か隠していることがあるのではないか」と考えても不思議ではない。何か後ろめたい部分や、知られたくない何かがあるんじゃないかと勘ぐるのも自然な流れである。「冷静に」と言う向きもあるかもしれないが、消費者の不安は当然のことである。既に東急不動産からマンションを購入された方々は被害に遭っている可能性があるため、調査されることを推奨する。

これらトラブルについて東急リバブル・東急不動産は、基本的に自社の非を一切認めていない。一切認めていないということは、今後も大阪高裁判決の事件のように、知っていても都合の悪い事実は隠し、正直に説明したら売れるはずもない物件を売りつける手法を改める意思はないということである。消費者の信頼を裏切ったことに対する自覚は皆無である。

売り上げ優先で「事実を告げると売れなくなる」「本当のことを言ったら価値が下がる」との論理から屑同然の物件を誤魔化して販売する業者は信頼に値しない。購入した物件にどんな欠陥や瑕疵が隠されているかわからない。

不動産取引は高額取引であり、住宅は多くの人にとって一生に一度の大きな買い物である。失敗すれば人生の失敗にも繋がる。従って、不誠実な業者からの購入は避けるのが賢い消費者である。リスクの多い物件は最初から買わないことである。「悪徳不動産業者の魔の手から逃れて公正な不動産取引をするためには、ひとつには悪徳業者と取引しないことです」(高橋達夫、悪徳不動産業者撃退マニュアル、泰光堂、2000年、11頁)。

東急リバブル及び東急不動産の物件は、買わない、借りない、近づかない。これが賢明な自衛策である。危険を避けるための、最も有効な考えは「危うきに近寄らず」である。当たり前のことだが、危ないと思うならば、しないに越したことはない。初めから土俵に上がらなければ怪我をすることもない。悪徳不動産業者から住宅を購入しないように気をつけよう。悪徳不動産業者の手口に引っかからないようにしよう。

悪徳業者の物件を買うのは怖い。おかしいことや不信、諦めやごまかしなど、わけのわからないことに巻き込まれる危険性が非常に高い。どんな災難が潜んでいるか、どんなトラブルに巻き込まれるか分からない。そしてトラブルが発生したとしても満足な対応はしてくれないだろう。もしかすると、手付金だけとって姿をくらますことも十分考えられる。

食品、自動車、建築と集団犯罪・企業犯罪が続いている。集団となると極端に規範が緩むのが日本人の特質である。「赤信号みんなで渡れば怖くない」は端的に表現している。集団犯罪・企業犯罪はこれからも起こるだろう。次の被害者はあなたかもしれない。

東急の不誠実な体質が問題

東急リバブル東急不動産を始めとする東急グループの不誠実な体質が問題である。同業他社にも問題があることが東急の責任を減少させることにはならない。「制度が悪い」「業界が悪い」という制度論、業界論は一億総懺悔と同じである。悪徳不動産業者の責任転嫁に悪用されるだけである。

誰も責任を取らない無責任状態に行き着く。そこからは反省も教訓も生まれない。単に「誰も悪くない。制度よ、良くなれ」と唱えるだけでは古代人の雨乞いの祈りと変わらない。大声あげて制度をスケープゴートにすることは簡単だが、無意味である。制度の不備や問題点を嘆いて終わりである。騙し売り被害者は浮かばれない。

東急リバブル東急不動産のような悪徳不動産業者にとって好都合この上ない。「悪意はない、制度が悪い」と責任転嫁するメンタリティこそが問題である。制度を悪用して騙し売りをしながら、責任を追及されると「制度が悪い、制度が悪い」 と自分達の責任を制度に転嫁する。それを恥ずかしいとも感じていないことが問題である。

東急リバブル東急不動産は悪事を働いた。自分だけではないという言い逃れは通じない。余人の所業に関係なく、そのことで裁かれなければならない。東急リバブル東急不動産不買運動の糾弾に対し、東急リバブル東急不動産は黙して耐えるより他に仕方がない。

子供たちの未来のために、東急を不買します。
全国のおかあさんたちも、あとに続いていますよ。
東急を不買して、にっぽんの洗濯をしましょう。
本日も元気に、東急不買です。
これから、東急不買運動を、海外にも広げていきましょう。
家族や友人が海外にいる人たちは、それらの家族、友人に働きかけて、
現地の人々を巻き込んでの不買運動を展開してもらいましょう。
日本在住の外国人にも東急不買運動を紹介して、それぞれの母国へ伝えてもらいましょう。
東急不買運動を世界に広げることで、ニッポンの洗濯をやりきりましょう。
おはようございます。今日も爽やかに東急不買運動です。
東急不買運動の世界展開、すばらしいと思います。
各自で出来る限りの努力をしていきましょう。

東急リバブル及び東急不動産との不動産取引を検討される方へ

東急リバブル及び東急不動産から物件を購入予定の方々には、くれぐれも御注意されることを求めたい。誰にも災いに巻き込まれない自由はある。東急リバブル及び東急不動産との不動産取引を検討される方は、両社の本社・支社等に本サイト記載トラブルの事実確認をされてから、契約締結の判断をされることを推奨する。本サイトの内容と各事業者のWebサイト上に記載されている会社概要や宣伝キャッチコピーを比較検討されることを希望する。

ベストなマイホーム選びをしていただくためは、契約前のプロセスが大切である。それが入居後の満足、また将来のリスクヘッジにもつながる。何しろ何千万円もする取引である。「3000万円台の物件でも利息を含めた支払総額は5000万円を超える」(河北義則『3年間、家を買うのはやめなさい!』ダイヤモンド社、1999年、207頁)。多くの人は何千万円という住宅ローンを背負い、30年といった長期間で返済していかなければならない。

準備や知識は消費者を守る術である。用心にこしたことはない。相手の素性を確かめずに取引するのは大変危険である。欧米人のように何事についてもきちんと確かめ、間違いないとなってから決断したり行動したりしないと、とんでもない羽目に陥ってしまう。「何故、あの時に気付かなかったんだろう」「こうすればよかった」と後悔しても遅い。

不動産業者から物件情報を受け取るだけでなく、その会社自身に関する情報を自ら収集することが大切である。「ビジネスの世界、大事な契約を結ぶ前には、情報収集は欠かせない」(ゴマブックス特別取材班、堀江本。2政界進出編、ゴマブックス、2006年、26頁)。過去の事例を知ることはとても大事なことである。現在は過去の積み重ねだからである。過去の事例により、その企業の現在の姿がわかる。

イメージや先入観、価格の単純比較だけで選択していないだろうか。大手が一流とは限らない。資本金の額や企業規模が会社の信用ではない。どのような家に住まうのか。これは、あなたと家族との未来を創る行為でもある。

「いかにも安くてよさそうに見えて、実は欠陥のある物件を押し付けたり、高いローンで買わせたりといった質の悪い業者に当たってしまうと、いくらこちらが慎重にやっても、あるいは勉強しても、相手はプロですから、どこかで必ずだまされてしまいます」(石井勝利『元気の出るマイホーム取得術』総合法令、1993年、78頁)。

あらゆる視点から、徹底的に比較しなければ、何年間も住み続ける住居を選定できる筈がない。「木を見て森を見ず」という言葉がある。しかし木を見なければ森は見えない。木だけを見ていてもやはり森は見えない。森を見るつもりで、木を見なければならない。

どこの町でも不動産会社は星の数ほど存在する。どの店を選べばいいか迷うところだが、同じように見えても会社毎にそれぞれ特色がある。一つの場所で何十年も店を構えている会社は地元の物件に関して非常に詳しい。地元にはそれほど詳しくない代わりに、広範囲に物件を扱っている会社もある。

告発サイト

インターネットで丹念に調査をすれば、不動産トラブル情報を入手できる。企業が自社の利益第一を追求しているか、居住者の生活を考えているかは調べればすぐに判明する。情報専門家の間では「秘密情報の98パーセントは、実は公開情報の中に埋もれている」と言われている(佐藤優、国家の罠、新潮社、2005年、189頁)。抜け目のない人物ならば、ほんの小さな事柄から大きな秘密を嗅ぎ出すこともできる。東急リバブル東急不動産のパンフレットのように奇麗事ばかり書いてあるものでも、読みようによっては「書かれていないこと」を十分に推測できる。

会社の情報は、その会社のWebサイトからのみでは不十分である。インターネット情報でも一般に業者によるものは結局宣伝に過ぎず、信用できないことは言うまでもない。検索エンジンから、購入を検討している不動産会社名に「告発」「トラブル」「悪評」などのキーワードを付して検索すれば、色々なサイトがヒットする。告発サイトは個人の実体験に基づくものなので、信憑性が高い。不動産会社の意外な評判を知ることができる。

「匿名性の高い場においては、より深い情報が入る一方でデマや誹謗中傷なども起こりやすい。ただし、そのような発言に対するチェックが厳しく入るのも匿名度の高い場の特徴」である(國領二郎「ネット上における消費者の組織化」日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業プロジェクト「電子社会と市場経済」ディスカッションペーパーNo.73、2001年3月、4頁)。

「これだけネットが浸透したいま、影の部分をわきまえつつ、光りの部分を最大限生かそうとするのは、合理的な姿勢だろう」(根本清樹「ネットで政治は?」朝日新聞2006年3月14日)。

インターネット

インターネットが登場するまでは、消費者の主たる情報源はマスメディアであった。不動産業者は広告スポンサーであり、マスメディアからみれば顧客である。そのため、不動産トラブルがマスメディアで報道されることは少なかった。

報道しないようにしていたと言う方がいいかもしれない。それで世間の目を欺いて何事もないかのように装っていた。マスメディアで報道されることを絶対的な事実として受け取る人は少なくない。反対に報道されないことを、そのような事実がないかのように錯覚してしまう人も少なくない。本当に重要なニュースは報道されないことがある。

ニュースを新聞や雑誌、テレビからリアルタイムに仕入れることは大切なことである。しかし本当に大事なことは、報道された事実に対する自分なりの見解を、しっかりと持つことである。情報源をマスメディアの報道だけに頼っていると、知識が断片的、付け焼き刃的になりがちで、自分の見解どころではない。

インターネットの普及で状況は変わった。インターネットは個人レベルで情報を発信できる。インターネットは情報発信コストを大幅に低下させた。結果としてこれまでは情報の受信側にしかありえなかった消費者も情報発信の主体となる。ようやくモノを言える時代になった。「悪事千里を走る」という諺通り、掲示板やブログを通じてデベロッパーの問題点が一瞬にして全国に流される。

誰かが東急不動産・東急リバブルの詐欺的商法に対してその実態を告発する。「東急不動産は、このような酷いことをしている」と。すると、それに似た経験を持つ者が、それに賛同する意見を発信する。一つの事件が告発されたら、他のトラブルもボロボロと出てきた。

これまでは表沙汰にされていなかっただけで、トラブルは腐るほど存在していたため、当然のことながら、その輪も急速に拡がった。よく肥えた土地には種を蒔くだけで十分である。砂に染みる水のように広まった。散発的な怒りは、どこに出しても恥ずかしくないり立派な虐待リストに膨れ上がった。

インターネットは個人が巨大な組織と闘う時の武器になることは確かである。東芝クレーマー事件でも、東芝は当初は横柄な態度をとっていたが、最後は訴えた個人に謝罪する羽目になった。

Web2.0時代の東急リバブル東急不動産不買運動

東急リバブル東急不動産不買運動はWeb2.0時代のコンテンツを提供する。東急リバブル東急不動産不買運動は消費者が生成したメディアCGM; Consumer Generated Mediaそのものである。完全修飾ドメイン名を叩かなくても必要な情報が全部手に入る時代が来ている。東急リバブル東急不動産不買運動のコンテンツに辿り着く経路は、東急リバブル東急不動産不買運動のトップページだけではない。ブログのトラックバックやコメント、掲示板投稿からでも東急リバブル東急不動産不買運動の情報を入手できる。

東急リバブル東急不動産不買運動の目的

東急リバブル東急不動産不買運動は、東急リバブル及び東急不動産のトラブル並びにトラブルに際しての不誠実な対応を可能な限り多くの方々に伝えることを活動目的とする。東急リバブル東急不動産の悪行を余さず記録する。これにより、不動産売買を検討される方に参考情報を提供する。一人でも多くの人が東急リバブル東急不動産のトラブルを知ることが東急リバブル東急不動産不買運動にとって最良の贈り物である。

東急不動産東急リバブル不買運動は、これまで禁じられた光景に向かって開かれた目である。かつて聞いたことのない真実に向かって開かれた耳である。東急不動産東急リバブル不買運動が何かの役に立てるとすれば、それは正義のために働くこと以外にはない。本当に詐欺行為は許せない。東急リバブル東急不動産を徹底的に叩いていくつもりである。

東急リバブル東急不動産不買運動の標語は「希望と活力にあふれる東急リバブル東急不動産不買運動」である。希望と活力の基盤としての業務拡大の一環として広報に対し力を注いでいる。

東急不動産東急リバブル不買運動という一つの文化を創造する。東急リバブル東急不動産への不服従と直接的な挑戦としての不買(ボイコット)を促進する。東急グループの悪質さを広く一般に知って貰い、各自が行動を起こしていくのを支援する。不買運動の啓蒙・普及を使命として、東急不動産東急リバブル不買運動はこれからも、様々な叡智と気づきと最新情報を発信して参る所存である。

東急リバブル東急不動産不買運動が東急リバブル東急不動産を告発することは正当であり、理に適っている。東急リバブル及び東急不動産の違法行為を告発し、より大きな被害を食い止めることは社会的に正当性のある行為である。正義と自由を願う人々が支援する価値がある運動である。東急リバブル東急不動産不買運動が求めているものは正義である。

東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産がいかにして動機を持ち、機会を得て、冷酷な計算ずくの方法で卑劣な犯行に及んだかを明らかにする。しかも東急リバブル東急不動産は自らの罪が白日に晒されることはないと考えていたのである。東急リバブル東急不動産不買運動の筋を曲げない、真っすぐな発言が東急リバブル東急不動産の醜悪さを炙り出す。

東急リバブル東急不動産不買運動は現下日本における救い難き東急リバブル東急不動産の災いの大きさを感じ、憤激に身を慄かせた者である。東急リバブル東急不動産の騙し売りという事実そのものが厳として東急リバブル東急不動産不買運動の良心に呼びかけていた。東急リバブル東急不動産不買運動の良心をして、高い声で東急リバブル東急不動産の騙し売りを広く語らせている。

読者は東急リバブル東急不動産の騙し売りの激烈さを感得されるに違いない。その真相が如何に無残であることを知って驚かれるであろう。東急リバブル東急不動産不買運動は長期的な運動である。東急リバブル東急不動産が過ちを悔い改め、心から謝罪する日まで堅持し通すのみである。

東急リバブル東急不動産不買運動は正義に基く紛争解決と不動産市場の健全化を実現するために、最大限の努力を行うつもりである。東急不動産及び東急リバブルの悪質な販売戦略と消費者を馬鹿にした対応が一日も早く世間に周知されることを希望する。さもなければ同じような被害者がどんどん生み出されることになる。市民生活の中で発生するであろう危険を予測し、実際に惨事が発生する前に、その危険性を警告的な情報として社会に定着させることが東急リバブル東急不動産不買運動の役割である。

情報は公開されることによってあるべき事態を早める効果を持つ。東急リバブル東急不動産不買運動は消費者にとってより安全な社会を作ることに貢献する。東急リバブル東急不動産不買運動が悪質な不動産業者に対する警告となり、安心して住める社会への一助となれば幸いである。当然ながら、他人を傷つけたり結果的に迷惑を与えてしまいそうなことは書かない。味方を増やして友人を守るのが東急リバブル東急不動産不買運動のやり方である。

東急リバブル東急不動産騙し売り被害者の悲しみ

個々人の苦悩こそが真実を語る。被害者の苦しみはいかに深いか、原告は権利を回復するために、どれほどの労苦を強いられるのか。これらは通常、中々報道されない。被害者の艱難辛苦を東急リバブル東急不動産不買運動を通じて知ってもらうこと自体に大きな意味がある。

本来ならば騙し売り被害者が泣く理由も住宅ローン破産する理由もなかった。それほど豊かではないとしても家族で仲睦まじく暮らしながら、ひたすら平和な日々を過ごすことができた。慟哭を強いられたとするならば、その幸福を壊した輩(東急リバブル東急不動産)がいるためである。

東急リバブル東急不動産不買運動は怒らなければならなかった。怒りを爆発させたがために、たとえ地獄に落ちることになろうともやらないわけにはいかなかった。傍観は見殺しに等しい。瀕死の状態にあるのを見殺しにしても良いだろうか。世界全体が東急リバブル東急不動産の不条理を裁いて欲しいと東急リバブル東急不動産不買運動に行動を急いている。日本の正義が試されていた。

東急リバブル東急不動産が、ざっくりと刃を突き立て被害者の心を傷つけたからには、それが絶対の善だったとは、ゆめゆめ唱えさせるつもりはない。東急リバブル東急不動産の嘘を暴く。東急リバブル東急不動産の屁理屈が、いかに無意味で、いかに子ども染みて、ほんの滑稽な漫画でしかないことを明らかにする。悪ふざけの東急リバブル東急不動産にも本当に怖いものがあるということを教えてやらなければならない。

東急リバブル東急不動産との戦い

東急リバブル東急不動産不買運動の活動は報酬のためでも、名声のためでも、野心のためでもない。東急リバブル東急不動産不買運動は十字軍である。正義の神が東急リバブル東急不動産を地上から一掃するために遣わした尖兵である。赤紙一枚で召集された訳でも奴隷のように戦いに引きずりこまれた訳でもない。消費者に仕えるために自ら戦いに赴いた。これに過ぎる人類への挺身はない。東急リバブル東急不動産との戦いは報復に留まらない。正義感や怒りという人間誰しもが持つ倫理を結集した戦いである。

人を人足らしめている条件の一つが自由である。東急リバブル東急不動産の騙し売りは消費者の選択の自由を奪うものである。自由を勝ち取るための戦いこそ人として当然参加すべき戦いである。この点において東急リバブル東急不動産不買運動は二十世紀、スペイン内戦に参加したアーネスト・ヘミングウェイやアンドレ・マルローと同じ地平に立っている。

東急リバブル東急不動産不買運動は消費者運動の活動領域を拡大し、現在の逼塞状態を打開する方式の一つとなる。東急リバブル東急不動産不買運動は世界的な規模において運動を展開する。広く民主的諸勢力と結合し、敵勢力に対する運動の一環として進めていく。政党や労組やセクト主導でなく、右左関係なく、草の根から始まる、まさに国民的運動である。意見の相違は民主的に議論はするが、排除の理由とはしない。反東急リバブル東急不動産の一点で統一し、連合組織の拡大強化を図ることが重要である。

東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産の愚かさを教えなければならない。騙し売りや不誠実な対応に対する悲しみや怒りを何一つ忘れてはならない。戦争が生み出す英雄達の影には必ず、勇気でも技量でも劣らなかった筈なのに、ほんの少しの運に恵まれずに散っていった無数の名もない戦士が存在することを忘れない。東急リバブル東急不動産不買運動は、この怒りを結集し、東急リバブル東急不動産に叩きつけて初めて真の勝利を得ることができる。この勝利こそ、被害者全てへの最大の慰めとなる。

長い歴史から見れば東急不動産との戦いは不滅の輝きを放つことになる。正義の勝利によって東急不動産の敗北も永遠の歴史に刻印されることになる。真実が君臨することが民主社会の基本である。東急リバブル東急不動産は魔性に狂い、消費者を見下し、食い物にしている。この東急リバブル東急不動産を厳然と叩き潰すところに真の民主主義が育つ土壌が出来上がる。東急リバブル東急不動産不買運動は神が宇宙を創造するために自らを捧げた行為と同じように大胆かつ高潔な行為である。

東急リバブル東急不動産の騙し売りを挫く

東急不動産消費者契約法違反訴訟によって東急リバブル東急不動産の詐欺的商法と信じ難いまでの冷酷さは疑問の余地のないことが判明した。東急不動産住宅事業本部・林正裕、野間秀一、大島聡仁、東急リバブル住宅営業本部・宮崎英隆、栗原眞樹は騙し売りを公然と正当化した。東急リバブル東急不動産は消費者への憎悪から屑物件を騙し売りし、一生に一度あるかないかの買い物において被害者に大損害を与えた。

東急不動産東急リバブル不買運動は、東急リバブル東急不動産の悪事を看過しない。この犯罪行為が罰せられぬまま放置されれば東急リバブル東急不動産は必ずや味をしめ、次の標的に動かすものと推測される。手をこまねいていれば憂慮すべき事態が繰り返されてしまう。

選択権がまだ消費者の手にあるうちに決断を下さなければならない。東急リバブル東急不動産の次なる計画を阻止しなければならない。さもなくば騙し売りの惨劇が今後無数に繰り返されることになる。東急リバブル東急不動産があくまでも騙し売りを続けるならば、それを挫く用意をしておかなければならない。東急不動産東急リバブル不買運動に参加しなければ、不正に対して何かをしなければ卑屈なクローンとして一生を過ごすことと変わらない。

東急リバブル東急不動産と戦い続ける

東急リバブル東急不動産は平和を愛する消費者の信念を弱さと勘違いし、建設的に協議しようとする知恵を臆病者の気弱さであると誤った判断を下した。東急リバブル東急不動産は容赦なく騙し売りを正当化した。東急リバブル東急不動産は消費者を簡単に騙すことができると思っている。被害者が戦わずして泣き寝入りすると思っているからである。

しかし、それは誤りである。消費者達はアルス横浜台町でも東急ドエルアルス南砂サルーテでも東急柏ビレジ(東急ニュータウン柏ビレジ)でもチバリーヒルズ(千葉リーヒルズ、ワンハンドレッドヒルズONE HUNDRED HILLS)でも消費者契約法違反訴訟でも戦った。湘南袖ヶ浜レジデンスや二子玉川東地区再開発、新宿余丁町計画、ジェントリーハウス品川大井では反対運動を起こしている。

既に消費者達は東急不動産消費者契約法違反訴訟において東急不動産を打ち負かした。消費者達は戦いの度に新しい武器、新しい戦術を生み出している。これまでも残酷極まりない敵と戦って打ち勝ってきた。裁判に勝つ度に悪徳不動産業者を街から追放してきた。悪いことをすれば儲かるという考えが誤りであることを東急リバブル東急不動産に思い知らせなければならない。徹底的に「恥を知れ」と思い知らせなければならない。それが日本を良くする一歩となる。

東急リバブル東急不動産との戦いに勝つ方法は分かっている。戦い続けることである。東急リバブル東急不動産の騙し売りを止めるには徹底的に叩く以外にない。敵をどこまでも追いかけ、疲れさせ、再び戦いを挑む。戦い続けるのである。決して足をよろめかせず、絶対にへこたれないで勝利を積み重ねる。東急リバブル東急不動産は何処で誰と戦っているか分からないような泥沼の戦いにはまり込む。恐怖のあまり目を閉じて、事態を傍観するほかない。それによって勝利は消費者のものになる。

悪夢の中では今でも凍えるような寒さと焼けるような熱さを感じ、身の毛もよだつ様な恐怖に襲われる。そのような危険と恐れを乗り越えて東急リバブル東急不動産不買運動は存在している。東急リバブル東急不動産の騙し売りは今でも後を絶たないが、失われた権利を回復を求めて立ち上がる被害者は次第に増えつつある。東急リバブル東急不動産が最も恐れていた、最も凄惨な戦いがこれから始まる。

東急リバブル東急不動産不買運動の使命

東急リバブル東急不動産不買運動の使命は、人々に良い影響を与えることである。東急リバブル東急不動産不買運動に接することで、接した人から希望や活力が生まれるような活動を目指す。人々の魂は飢えている。心の糧を求め、生きる目標を取り戻せるようなメッセージを求めている。東急リバブル東急不動産は消費者の中に美しくも雄々しいものを呼び覚ます。東急リバブル東急不動産不買運動が、立ち往生してどうにもならなくなっている東急リバブル東急不動産に職業として関係する全ての人々の思いを突き動かしていく。

東急リバブル東急不動産不買運動は同じ志を持ったモチベーションの高いメンバーが集まっている。非常に結束の固い良い組織である。誰もが熱意に満ちているし、東急リバブル東急不動産に対する戦いの中心に身を置けることで興奮さえしている。不買運動は自然発生したもので、そこには何の煽動も共謀も存在しない。東急リバブル東急不動産不買運動には万人の前で言えないことは何一つない。

東急リバブル東急不動産不買運動は理論家であり、伝道者であり、発明家である。成功の道筋を示すために遣わされたパイオニアである。東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産被害者の有能な助手にも右腕にも忠僕になる。スーパーマンにとってのジミー・オルセンにも、シャーロック・ホームズにとってのワトソンにもなる。今後とも益々皆様のお役に立てるサービス・情報を展開していきたい。

東急リバブル東急不動産不買運動と文章

東急リバブル東急不動産不買運動の小文を読み終えた後、体に力がみなぎっていることを実感できるだろう。ホッと安心できる感じがする。東急リバブル東急不動産不買運動は情報を文字で書いているが、思いきり気を込めて書いている。文章にはエネルギーが宿る。エネルギーのよい文章は、文章を読んだだけで体調が変わっていく。

東急リバブル東急不動産不買運動の読者は日本の住宅、不動産業界のあり方について、本当の豊かさや幸福とは何なのかについて少なからず感じるところがあるのでは、と思う。思想は一度抱かれたからには消え失せることはない。眠ることがあっても、目を覚ませば眠る前よりも更にたくましくなっている。消費者が存続する限り、悪徳不動産業者を消滅させたいと熾烈に願い続ける筈である。正直者が報われる世の中に少しでも近づけばいい。

情報には発信すればするほど、逆に情報が集まってくるという性質がある。東急リバブル・東急不動産関連の不動産トラブルは太平洋の海水の如く豊富だが、それを汲み上げる担当者の手は幼児の如く小さい。是非とも多くの方に汲み出しに参加していただきたいと思っている。東急リバブル東急不動産不買運動の歴史を語る歴史学者の役割、そして伝説的人物の行動を記す伝記作家の役割を果たすことは、この上ない栄誉であり、またとない喜びである。

東急リバブル東急不動産不買運動から読者へ

東急リバブル東急不動産不買運動には読者の顔が見える。誰の顔かは聞かないで欲しい。理性と感覚に富む誰かの顔が見える。その個性までは分からない。にもかかわらず、東急リバブル東急不動産不買運動は、その何者かに語りかけている。特定できない、あなた。性別や年齢、性格、経験は問題ではない。手も届かぬ宇宙空間に漂う誰か。しかし、それでもなお、東急リバブル東急不動産不買運動は宣言する。「友よ、これはあなたへのものだ」。

東急リバブル東急不動産不買運動は読者とその反応を想像する。誰であれ、東急リバブル東急不動産不買運動は、あなたから何かが欲しい。賞賛でなくても構わない。繋がりとでも呼ぶべきか。理解して欲しい。時と空間のギャップを越えて強力な魔法の光を走らせたい。東急リバブル東急不動産不買運動から、あなたへ。そして、あなたから東急リバブル東急不動産不買運動へ。

東急リバブル東急不動産不買運動の夢

東急リバブル東急不動産不買運動には夢がある。東急リバブル及び東急不動産が宅建業法違反で営業停止処分を受ける夢である。東急リバブル東急不動産の宅建業免許は過去の遺物となる。東急リバブル東急不動産の株価は急落する。資金の供給は絶たれ、株主達は怒り狂う。東急リバブル東急不動産が倒産して終わる。いつかその光景に出合いたいと思いつつ、なかなか実現できない夢の一つである。

毎日夢が膨らんでいく。夢のためには努力を惜しまない。夢の実現に向けて一歩一歩しっかり前進していく。照りつける太陽。ほとばしる汗。身体は限界。道はどこまでも長く、人はこれほどにも小さい。それでも東急リバブル東急不動産不買運動は走り続ける。青い空を見据えて東急リバブル東急不動産と戦うことを誓う。

東急リバブル東急不動産は悪魔によって成り立っている企業である。これが打倒されることは歴史的必然である。東急リバブル東急不動産不買運動には東急リバブル東急不動産が壊れる日が見える。チャンスは必ず来る。焦ることはない。時間の経過が遅いからといって時計の針を進めるのは愚者の行為である。エドモン・ダンテス(モンテ・クリスト伯)は脱獄の機会を十四年間待った。朝鮮民族は日帝植民地支配から独立を回復するために三六年かけた。漢民族は清朝を中国から叩き出すのに三百年かけた。

東急リバブル東急不動産不買運動の覚悟

東急リバブル東急不動産不買運動には覚悟がある。己が描いた理想を実現するためならば潔く全てを投げ出すことができる。見苦しい保身ではなく、浅ましい野心ではなく、高邁なる志でもって自らの振る舞いを律することができる。これほどの不正を何ら糾弾せずに闇に葬ってしまってはならない。東急リバブル東急不動産の社名を聞くだけでも何千本もの針が突き刺さったように身体が熱くなる。東急リバブル東急不動産をのうのうと生かしておいてはならない。

東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産を打ち倒し、明確な決着をつけるつもりである。撲殺的な強弁で人権蹂躙的な圧力をかけられては、文明社会の良識が承知しない。東急リバブル東急不動産への圧迫は東急リバブル東急不動産が詐欺的商法を完全に放棄するか、騙し売りを続ける東急リバブル東急不動産が崩壊する時まで続く。

東急リバブル東急不動産不買運動は自分との契約書にサインした。握手し、血の誓いを立て、神仏に誓った。一旦、橋を渡ったら、最早その橋は存在しない。始めたことをやり遂げるか、力尽きて死ぬか、二つに一つである。常在東急不買の心意気である。「鞠躯尽力、死而後已(鞠躬尽力し、死して後已まん)」(諸葛亮『後出師の表』)。

東急リバブル東急不動産不買運動は血の沽券に賭けて東急リバブル東急不動産と戦う。東急リバブル東急不動産不買運動は互いに助けあう。誰かが困っていたならば、あるいは誰かに悩まされていたならば仲間として立ち上がらずにはいられない。弱者を助けて、初めて強者として大きく胸を張ることができる。東急リバブル東急不動産不買運動は立てた誓いを胸奥に確かめた。

不撓不屈

東急リバブル東急不動産不買運動は不屈の精神の有している。一度決意を固め、しかもその決意が良心から発し、義務に命じられたものと信じる限りは断固として後へ引かぬ覚悟である。生きるとは言葉を鍛え、名を正す戦いである。善人の皮をかぶった連中を糺し、はっきり悪と断ずる。東急リバブル東急不動産不買運動は静寂をまるでマントのようにまとっていた。東急リバブル東急不動産と戦い続けるという重荷のために静寂に取り付かれているようにすら見える。

東急リバブル東急不動産不買運動は妥協とは無縁である。「ああ、悪徳不動産業者に気に入られようとは思わない。ああ、悪徳不動産業者には敵なのだと思ってもらって構わない」。東急リバブル東急不動産のような悪徳不動産業者を廃業に追い込まない限り不埒な犯罪を一掃することはできない。

東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産に欠けているもの全てを象徴する存在である。気丈で勇敢、信念という礎を持ち、質素な暮らしでも幸福を感じ、この世界における自己の位置をしっかりと認識している。東急リバブル東急不動産不買運動は苦難に満ちた世界に残された唯一の希望である。東急リバブル東急不動産不買運動の活動は東急リバブル東急不動産を糾弾する上で何十年にも渡る陰謀マニア達の訴えかけよりも重みがあった。

東急リバブル東急不動産と不買運動

東急リバブル東急不動産不買運動と東急リバブル東急不動産とでは志が異なる。世界に対する意識が違う。呼吸する空気まで違う。東急リバブル東急不動産不買運動の理想は、東急リバブル東急不動産の理想ではない。東急リバブル東急不動産の望みは、東急リバブル東急不動産不買運動の望みではない。東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産を遮る暗雲である。

東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産にとって終わりなき悪夢である。東急リバブル東急不動産が地獄で惨めになった時、罪に苦しみ、これ以上悪いことは起こりっこないと思ったその時に、後ろを見たら、そこに東急リバブル東急不動産不買運動がいる。たとえどこへ逃げようと、眠りから東急リバブル東急不動産を目覚めさせる炎の恐怖。死よりも恐ろしい瞬間、東急リバブル東急不動産不買運動がそこにいる。

東急リバブル東急不動産がアル・カポネならば東急リバブル東急不動産不買運動はエリオット・ネス率いるアンタッチャブルThe Untouchablesである。東急リバブル東急不動産がタイタニック号ならば東急リバブル東急不動産不買運動は氷山である。両者の反目・確執は日本史上の加藤清正と石田光成、中国史上の岳飛と秦檜、西洋史上のフィリップ尊厳王とリチャード獅子心王に匹敵する。地獄に落ちなくて済むのは一方の側、東急リバブル東急不動産不買運動の側だけである。ウドンと言えば讃岐、メイドと言えば秋葉原、不買運動と言えば東急リバブル東急不動産不買運動である。

東急リバブル東急不動産不買運動の行動

東急リバブル東急不動産不買運動は人の痛みの分かる暖かな心根の持ち主であり、東急リバブル東急不動産騙し売り被害者を守るために粉骨砕身している。物静かで超然としており、いかにも切れ者らしい雰囲気を強く漂わせている。十年間付き合った友人でも、東急リバブル東急不動産不買運動がしてくれたほどは尽くしてくれない。東急リバブル東急不動産不買運動はいかにも優雅で、上品で、そして鄭重で立派な社交界の紳士達である。

東急リバブル東急不動産不買運動の行動は「自分の責任さえ逃れればいい」としか考えない悪徳不動産営業には理解不能である。いざとなると人間は損得勘定では動かない。人間は金では動かない。激しい感情は損得勘定を超越する。東急リバブル東急不動産に対する激しい憤りが、東急リバブル東急不動産不買運動を動かしている。

東急リバブル東急不動産不買運動は徹底した現実主義者(リアリスト)の集まりである。一方で途方もない夢を見る夢追人でもある。峻厳を絵に描いたような人、規範の人であり、善と悪の間には大きな隔たりがあると強く、妥協の余地なく信じている純粋主義者である。思慮の深いこと、慎重なことにかけては模範となる人々である。

義のために死ねる人々、武士の魂を持った人々である。死を受け入れることは諦めて死を迎えることと同じではない。限界まで戦わないうちは決して諦めることはない。貫通不可能と見える硬い表面が相手でも、決して回転を止めないネジ釘である。全身から世界を救おうとする人間ならではの重々しいオーラを発散していた。

東急リバブル東急不動産不買運動は暖かみがあって、しかも荒々しく、親しみがあって、しかも凄みがある。情感の振幅が大きく、悪徳不動産営業風情では捉え様がない。当人が何とか蓋をかぶせない限り、近くにいる者全員に火傷を負わせかねない、鍋一杯に煮えたぎる激情の持ち主である。どの姿をとっても妙に妖しく、人の心をそそってやまない。「東急リバブル東急不動産不買運動は理屈じゃない!言葉じゃない!定義じゃない!肌で感じて心で見るものだ!」と言う人もいる。真の騎士は東急リバブル東急不動産不買運動を前にして恭謙の念を抱くものである。目の前に置かれた印に畏服するものである。

東急リバブル東急不動産不買運動の内なる劇場の座席は立見席さえ全部含めて全て東急リバブル東急不動産の告発で占められている。その集中力は素晴らしい。唯一つの目的に向け全力集中。あらゆる種類の偉大なパフォーマー、運動選手や芸能人達に共通する能力である。怒らせたい相手のリストを作成するならば、東急リバブル東急不動産不買運動は一番最後に来る。

東急リバブル東急不動産不買運動には様々な噂がある。その大半は単なる風説に過ぎず、真実ではなかった。しかし東急リバブル東急不動産不買運動はその神秘性が気に入っており、あえて取り消すことはしなかった。伝説は噂から生まれる。そして、もし東急リバブル東急不動産不買運動が何かを目論んでいるとすれば、東急リバブル東急不動産不買運動は自ら伝説になることを目論んでいた。

東急リバブル東急不動産不買運動の体制

・広報部隊:各地に東急リバブル東急不動産の騙し売り情報を伝える
・テンプレ部隊:抗議文、プレスリリース等の文章を作成する
・法律部隊:法的に議論、打開策を考える
・誘導部隊:各地で出てくるであろう新参を教導する
・不買運動部隊:不買運動を実施する
・株主・IR対策部隊:株価・株主・企業活動としてのPRやIRに対する対策

東急リバブル東急不動産不買運動の要求

東急リバブル東急不動産の騙し売りは消費者の財産に対する非合法的かつ反道徳的な収奪である。東急リバブル東急不動産の騙し売りは消費者の選択の自由を著しく蹂躙するものであり、人権尊重の理念に根本から反するものである。そして基本的人権を尊重するとの理念は民主主義社会の法的及び思想的な基礎をなすものである。

そこで東急リバブル東急不動産不買運動は東急不動産の植木正威社長、東急リバブルの袖山靖雄社長並びに東急リバブル東急不動産において指導的地位にある全ての人物に対し、以下の行動を要求する。
第一に一切の騙し売り行為の即時停止。
第二に騙し売りに基づく全ての不動産売買契約の白紙撤回。
第三に全ての騙し売り被害者に対する誠実な謝罪。

これらの要求に誠意ある対応が見られない場合、東急リバブル東急不動産不買運動は総力を挙げてこれらを実行させるための努力を行う。東急リバブル東急不動産は心して聞かなければならない。東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産の蛮行を決して許しはしない。自ら退くか、それとも東急リバブル東急不動産不買運動の手で追放されるか、東急リバブル東急不動産の道は二つに一つである。

東急リバブル東急不動産への警告

東急リバブル東急不動産不買運動は東急リバブル東急不動産騙し売り被害者への誹謗中傷んと断固戦う。東急リバブル東急不動産が被害者達の実名や個人情報を少しでも漏らした場合、直ちに警察と全国のマスメディアに通報し、刑法134条により、東急リバブル東急不動産を直ちに刑事告訴する。

東急リバブル東急不動産は打ち首が当然

東急リバブル東急不動産は打ち首が当然の罪人でしかない。「夏の夜 悪徳東急 死が近し」「東急に未来はないよ寂しいよ」。既に「お前はもう死んでいる」状態である(北斗の拳)。しかし東急リバブル東急不動産は往生際が悪い。

楽にしてやろうとスパンと首を刎ねたのに、地面に転がった生首が「つきましては、お願いがあるのですが」とまだ喋っているのだから、気味が悪いことこの上ない。生首を放置しているのは東急リバブル東急不動産の下らない話を聴くためではない。どこにどのような形で晒し首にすれば社会正義に適うのか、思案中だから放っているだけである。

東急リバブル東急不動産不買運動への圧力

東急リバブル東急不動産から見る限り、東急リバブル東急不動産不買運動は手痛いものである。許し難いものである。日を追うごとに、東急リバブル東急不動産不買運動は有名となり、知らぬ者はいない状態になるだろう。東急リバブル東急不動産にとって決して見逃せないものとなる。

その結果、排撃したいと考えるのが、悪徳不動産業者の思考であり、妨害、抗議の行動が日々増加するだろう。教養や学力の問題になるが、馬鹿げた言いがかりをつける輩も皆無ではない。しかし脅迫は東急リバブル東急不動産不買運動の行動や考えに影響を与えない。心理戦や脅しを用いようとした者は、東急リバブル東急不動産不買運動に敬意を払い、侮辱したことを謝罪しなければならない。東急リバブル東急不動産は自らの無知と錯覚の代償を支払うことになる。

誰かにとっての事実は、誰かには都合の悪いものである。プライバシーを暴くことにもなる。そして別の誰かにとっては気分を害するものである。しかし敢えて事実に忠実であらんとする人間がいたからこそ、ウォーターゲート事件は明るみに出て、食肉の帝王は獄につながれた。

大事なことは真実を明らかにすることである。悪は嘘と秘密の闇の中に棲んでいる。東急リバブル東急不動産も同じである。故に真実の太陽で照らさなければならない。それによって自由と正義と民主の世界が開かれる。真実はあなたを自由にする。

文字の世界においては、怒りを怒りとして表現しなければ伝えたいことが伝わらない。学級委員のような言動や振る舞いからは何も生まれない。感情と行動が表現によって連帯することでしか、事態は動かない。世の中はそのように動いている。一つまた一つと、東急不動産の「全てをなぎ倒すブルドーザー的傲慢さ」が明るみに出ることは市民の真摯な運動の成果である。

東急リバブル東急不動産不買運動に対し、マイナス感情や否定感情を持つ方がいたとするならば、それは東急リバブル及び東急不動産の責任である。東急リバブル東急不動産不買運動に責任はない。東急リバブル及び東急不動産が重要事項説明義務さえ果たしていれば、ありえない状況である。

東急リバブル東急不動産の詐欺的商法は明らかに犯罪である。常軌を逸した反社会的行為と断ぜざるを得ない。そしてそれを擁護する人間は全て犯罪者と等しく軽蔑すべき人間と考えている。東急リバブル東急不動産に同情すること自体、十分犯罪的なことである。いつ自分が被害者になるか分からないという抽象的な感覚があれば、これだけのことを知らされて怒らない方がおかしい。

東急リバブル東急不動産不買運動批判者の誤り

東急リバブル東急不動産不買運動を批判、否定する人は根本的に誤っている。東急リバブル東急不動産不買運動の目標を達成することは悪徳不動産業者を排除し、建築不動産業界の様々な歪みを正し、将来の禍根を未然に防止することにつながる。故に東急リバブル東急不動産不買運動は傍観者自身を含め、公共の利益に合致する。「まだやってるの」と冷笑的態度をとる人は、東急リバブル東急不動産不買運動が自分の利益のためにもなる行動であるということに気がついていない。

日本人の欠点

残念ながら日本人には欠点がある。「自分だけはいい」「自分さえ良ければ、他人はどうなってもいい」という感覚が顕著である。市民運動や住民運動をする人に対し、「アカ」「朝鮮人」と言うのも日本人の卑しいところである。

ある研究では日本人の行動パターンで外国人と非常に異なる点が確認された。外国では皆の利益になるような行動をとる人はほぼ無条件で支持し、その人に協力する傾向がある。ところが日本人だけは、たとえ皆の利益になるような行動でも、その人がそれで何か個人的に得するようなことが分かると、自分が損をしてでもその人が得をすることを妨害するように行動する。それが日本人の際立った特徴である。

要するに心が狭く嫉妬深い。「他人が得をするくらいならば、自分が損をしてでもそれを妨害してやろう」というメンタリティである。小人の嫉妬ほど恐ろしいものはない。自分にできないことをやってのける相手に対し、彼らがどれほど妬み、嫉むか。

東急リバブル東急不動産の詐欺的商法の盲目的な支持者へ

東急リバブル東急不動産の騙し売りが認識できない盲目的な従業員は、なぜ東急リバブル東急不動産不買運動が広まっているのか、全く理解できていない。自分が理解できないために、それをファシズムやクレーマーという言葉で片付けようとしている。そろそろ自分の方が病気であると気付いても良さそうなものである。

東急リバブル東急不動産は自分達の悪い所を素直に認めない。全て東急リバブル東急不動産の詐欺的商法が正しいと思い込んでいる。東急不動産は屑物件を騙し売りし、購入者を住宅ローン破産させることが正義と思っているのかもしれない。この間違った思い上がりが東急リバブル東急不動産をどんどん騙し売りに駆り立てる原因になっている。しかし世間一般から見れば東急不動産の意識は正しくない。北朝鮮の役人は北朝鮮の体制を正しいと信じて疑わないが、自由主義社会から見れば正しくない。これと同じである。

東急リバブル東急不動産の騙し売り正当化発言を支持する者は確かに皆無ではない。しかし少なくともその一万倍は東急リバブル東急不動産の主張を残酷で強引であると思う者がいる。そちらの声に耳を傾けた方がいい。

東急リバブル東急不動産不買運動は有名な存在である。大勢の支持者がいる代わりに東急リバブル東急不動産不買運動を憎む少数の不埒な連中もいる。連中は東急リバブル東急不動産不買運動に揺さぶりをかけようとしているだけである。

今まで東急リバブル東急不動産の詐欺的商法に依存してきたため、詐欺を認めることは今までの自分が間違いだったことを認める意味になる。自分を否定したくないから詐欺を認めない。素直になるべきである。一時的な苦しみを味わうが、否定し続ければもっと苦しむことになる。自己弁護や東急不買非難を何百回何千回と繰り返しても、問題の本質には近づけない。まして、東急リバブル東急不動産が抱えている悪しき陋習やしがらみを払拭することはできない。

東急リバブル東急不動産が消えても誰も悲まないが、東急リバブル東急不動産不買運動がなくなると悲しむ人はたくさんいる。東急不動産東急リバブル不買運動に助けられた人がいる。東急不動産東急リバブル不買運動に感動した人もいる。人が東急不動産東急リバブル不買運動に救われたことは事実である。それを馬鹿にした言い方は人として問題である。失礼極まりない。正義に向かおうとする人間を罵倒する人間は屑の中の屑野郎である。

東急リバブル東急不動産不買運動を潰したい人達は消費者がどうなってもいいと思っているのだろうか。不思議である。周囲の人と信頼関係を築けていないことが伝わってくる。普通に育った人間は、消費者運動を目の敵にするようなことはしない。過去にイジメられていたのか。親から愛情がもらえなかったのか。何かのトラウマがあるのか。家族とうまくいってる人は少ないのだろうと想像することはできる。悲しくならないのだろうか。はけ口がなければ心のバランスが取れない可哀想な人間である。東急リバブル東急不動産擁護者の発言には、田代まさしファンや植草一秀ファンと同じ香ばしさが感じられる。

東急リバブル東急不動産不買運動とアンチ東急不買の違いは記事の裏側を考えられる人と鵜呑みする人の違いである。アンチ東急不買は誰も話に耳を貸してくれない現実から逃避している。幻覚作用のある茸でも食べたのだろう。誰も相手にしてくれない悲しさから逃げたい為に毒茸を食べてしまい、さも、自分の言い分を聞いてくれる相手がいるかのような幻覚を見ている。少なくともアンチ東急不買の発言は尋常ではない。地上の生き物の中で、アンチ東急不買に最も近いのは黒くてテラテラしたキチン質の鎧に包まれた平べったい連中である。アンチ東急不買は全く自分が見えていない。勇気を出して自分の姿を見た方がいい。

東急不動産が販売するヘボ物件

東急リバブル東急不動産不買運動に対し、以下の批判投稿がなされた。「どうせ東急のマンションなんか買えない人まで(買えてもへぼい物件だったり)不買!不買!って、恥ずかしくないのか?」。この論理では東急リバブル東急不動産に騙し売りされた被害者が購入した物件は「へぼい物件」ということになる。悪徳不動産業者の本音をうかがうことができる書き込みである。

批判投稿は2006年8月23日水曜日に「2ちゃんねる」にマルチポストされた。投稿された時間帯は午前中である(9時51分、9時53分、9時55分、9時56分)。平日であり、一般の勤務者は勤務時間中である。但し、東急リバブルでは水曜日を定休日としている。

第83号:バッターボックスにはつっちゃん|つっちゃんBlog 「買ってはいけない東急不動産」を誹謗中傷すると宣言した(2006年10月12日)。「「買ってはいけない東急不動産」の行動はわれわれ東急グループの顧客として許せないものがあり、そのブログへの誹謗中傷活動、並びにその活動に対する抗議としてこのブログにおいてそのブログの誹謗中傷をします」。
誹謗中傷を宣言した記事はブログ「買ってはいけない東急リバブル・東急不動産」にトラックバックした。しかし翌13日には誹謗中傷宣言部分を削除した。また、誹謗中傷を宣言した記事中でキセルをしたと堂々と表明した。「帰りに西馬込→中延の切符を買ってキセルで泉岳寺、京急線で京急川崎で大師線に1往復乗ってきて帰ってくる」。不正乗車をしておきながら、「われわれ東急グループの顧客」を自称するとは呆れる。アンチ東急不買のレベルがうかがえる。

不買運動

不買運動は消費者の正当な権利である。商品を買わない事により企業に圧力をかける方法である。理由の如何を問わず、どの商品を購入するかは消費者の自由である。企業理念に同意できないから買わないという態度も最近は広く認知されている。流行のCSRも、この考えに近い。不買を公に表明するのも自由である。

不買運動は企業に対する抗議を表す手段としては一般的なものとなっている。ネット上における不買運動も多く見られる。すぐにも行動に起こせる抗議形態として定着している(國領二郎「ネット上における消費者の組織化」日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業プロジェクト「電子社会と市場経済」ディスカッションペーパーNo.73、2001年3月、3頁)。

消費者の力が不買運動の一番の原動力である。日本は民主主義国である。我々国民こそが主権者である。社会を良くするためには一人一人が主体的に行動しなければならない。消費者がモラルを無視する悪徳不動産企業を許さないという強い意志を表明することは、モラルハザードを抑止するために有効である。

消費者ができることは第一に東急を利用しないことである。商品を買わない。サービスを利用しない。他でできることは他に行く。同じ目的地に向かう電車なら他社路線に乗る、別の交通手段を使う。スーパーなら東急ストア以外で買う。先ずは自分である。次に実家、親類、友人。住宅購入を検討する人の耳に東急リバブル東急不動産を伝えよう。地道にこつこつと。

各々が不買宣言することにより、企業も問題の大きさを理解することができる。「東急もの」をexcludeしよう。荒廃した国、虫食まれた社会で国民が正気を保つためには、結局自制するほかない。東急リバブル東急不動産から買わない消費者の断固たる行動だけが、悪循環の鎖を断ち切ることができる。

各個人が政府や御用学者・御用マスコミの言う事に惑わされず、自分の頭で考え判断し、正しい消費行動を行えば、それが政府や企業にとって巨大な圧力となり得る。悪名高きアパルトヘイト国家南アフリカは、個人消費者や投資家が経済ボイコットを行った結果、各国政府が経済撤収を始め、遂には人種差別撤廃に追い込まれた。

東急リバブル東急不動産不買運動は毎日の積み重ねである。最初は効果が目に見えないが、後になればなるほど効果が出てくる。自分一人が買わなくても大企業には大してダメージがないと思われるかもしれない。しかし、あなたの努力に賛同する人達が沢山いるはずである。

燎原に小さな火がついた。その火は小さく、やがて消えるかもしれない。しかし、もしかしたら皆を驚かせるような大きな炎になって、世の中を照らす。一人一人の地道な活動が世の中を良くする。小さな声でも集まることが大事である。私達一人一人の努力は数になり、大企業をも動かす。

カオス理論を研究している物理学者は、ほんの小さなきっかけからまったく異なる大きな結果が生み出されることを認識している。この現象は「中国での蝶の羽ばたきがニューヨークでのハリケーンの原因になりうる」という例え話から「バタフライ効果」と呼ばれている。

賛同者の動機は全く問わない。各位の個人的な動機から、できるだけ多くの方が不買に賛同してくださると幸甚である。不買運動の輪を広げよう。やりはじめると結構楽しいものである。旅の目的がどこかに着くことであるとしても、途中の風景を楽しむことは悪くない。熱しやすく冷めやすいのが日本人の欠点とされる。気長に楽しみながらやっていきたい。

Better than nothing

キーワードはBetter than nothingである。やることが即解決にならないとしても、やらないよりはいい。新しい行動を起こすときには、現状維持をすることはできず、必ず何らかの障害が待ち受けている。しかし、その障害を乗り越えた時に、目指していた何かを得ることができる。

結果は行動によってしか出すことができない。そして行動は心や感情によって誘発される。結果はどうなるのか。動かなければ何も起こらない。行動を起こさない限り何も生まれない。行動によってしか何も結果は出ない。

歩き出さないことには目的地には着けない。一歩を踏み出さない限り、目的地には着かない。遠過ぎるからといって歩き出さないのでは永遠に到着できない。座り込んで喚いても何一つ状況は変わらない。

あれこれ計画して悩むより、少しでもいいので早く着手する。まとめて時間を作ってからしようとするよりも、ちょっとした時間にメモに書くだけでも開始する。始めてからスピードを上げることには、それほど努力を要しない。まず、スタートしよう。

目標

運動場にラインを引く場合、目的地を目で見て、そのままラインを引くと真っ直ぐ綺麗に引ける。イメージの中で目的地に自分を置き、そこに線を引いて到達する自分を想像するためである。東急リバブル東急不動産不買運動も同様に、不買運動をやり終えた自分を想像し、今不買運動をしている自分を見る。それによって綺麗なラインのような東急リバブル東急不動産不買運動になる。

まず目標を決める。目標だから、あくまでも夢は大きく描く。その夢に一歩でも近づくように努力する。人間は夢を持つことによって自分の力を大きく発揮することができる。一つの夢を実現して、また次の夢を追う。これが人生の幸せ、生きがいである。小さな変化でも起こすのには意外と労力がいる。だからこそ、やり遂げた時の喜びも大きい。

決めた目標は紙に書いて、目立つ場所に貼る。そして特に寝る前に成功した時の自分の姿、生活を空想する。「最初からだめだ」と決めつけては何も成功しない。「無理だ、そんなにうまくいくもんか」と思った時点で終わりである。「自分にも絶対できる」と思って実践していくことが肝心である。

半年後、一年後、目標を達成出来ていなかったら、「ああ、やっぱり無理だった」と諦めるだろうか。否、今回はだめだったが「もう一年後には」と決意を新たにする。さらに高みを目指すのであれば、新しい何かを始めるのであれば、たとえ無駄や無謀と言われても、自分が磨いた技を信じ、自分自身を信じることである。自分を信じ続けることが重要である。そのためには何より、子供のような純粋な気持ちで、夢を持ち続けることが大切である。

諦めに支配された時、脳は収縮し、老化への道を歩み始める。失敗しても、また挑戦し続けない限り、道は開けない。恐怖は挑戦しなくなることにある。諦めたらそこで終わりである。一見失敗しているように見えても、諦めない限りそれは本当の失敗ではなく、挑戦という一つのプロセスである。

幸福になりたいと思うなら、幸福になる行動が必要である。「幸せになりたい」という今の気持ちを行動に移そう。何もせずに後悔するより、先ずは一歩踏み出そう。幸せにつながるキッカケがきっと見つかる。好機の波は全体の必要や、その時々の社会の発展段階に応じて、様々な方向に向かって流れるものである。無知や無気力に囚われて、チャンスを逃してはいけない。「解決策がない」という感覚だけは絶対に捨てよう。

成功への最大の鍵は、諦めずに行動を続ける力である。何か行動を起こせば、必ず何かが学べる。そこから道が開け、やがて良い結果が出せるようになる。一貫した行動を続けていれば、そして柔軟な感覚で目標を追求し続ければ、必ず努力は身を結ぶ。最初は一個人の本当に小さな決断である。水滴でもコップの中にためていけば溢れさせることができる。蟻の一穴が巨大な堤防を決壊させる。小さな動きが雪だるま式に大きな渦になる。

ナイチンゲール「人生とは戦いであり、不正との格闘である」(吉岡修一郎『もうひとりのナイチンゲール』医学書院)。

フランスの文豪エミール・ゾラ「私は打たれれば打たれるだけ偉大になるのだ。正義と真理のために悩んでいるものは、だんだん荘厳になってきます(大仏次郎『ドレフュス事件』朝日新聞社)。

「ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事が出来るでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。」(夏目漱石『私の個人主義』)

高山樗牛「自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧きでる。」

チャールズ・F・ケタリング「進み続けなさい。あなたが期待していたことが、偶然につかめるでしょう。座ったままで、偶然にチャンスを見つけたという話をこれまで私は聞いたことがない。」

ロバート・フロスト「森の中で分かれ道に出会った。そして私は―私は人通りの少ない方を選んだ。全ての違いは、そこから生まれた」(Two roads diverged in a wood, and I-- I took the one less traveled by, And that has made all the difference.)。

消費者対業者

東急リバブル東急不動産不買運動は消費者対業者という形で論を構成し、業者の利益よりも消費者の利益を優先させるべきとの価値判断を有している。但し業者にも消費者としての側面がある(但し会社は営利という目的を追求するために存在する)。また、消費者も従業員として生産活動に携わる面がある。そのため消費者・業者という言葉で分類してしまうと、現実の人間活動の多様な側面を切り捨ててしまう危険性が皆無ではない。しかし多種多様なカオスである現実を理解し分析するためには、現実を言葉により観念化する必要があると考える。実際、社会科学はそのようにして発展してきた。

理念型が現実とかけ離れてしまう危険はある。とりわけ危険なのは国益や国民の利益、公益、公共の福祉という言葉である。このような言葉を無条件で受け入れてしまうと、国民の内部にある利害対立を否定することになる。以上のような弊害は存在するが、それはモデルをより精緻化することで克服していくのが社会科学の傾向である。

理念型を用いて説明すること自体はとても有益である。消費者対業者で分析すると、消費者から見て業者は攻撃すべき対象としか捉えられなくなってしまうとの可能性はあるが、現実に消費者の利益と業者の利益は対立するものである以上、このような分析は国民共通の利益なるものを観念するよりも有益であると考える。

東急不買運動はサイレントテロ

東急リバブル東急不動産不買運動はサイレントテロの一翼を担う。東急不買運動は不誠実な東急リバブル東急不動産を生み出した日本社会への抗議である。日本の消費者は東急リバブル東急不動産のような悪徳業者に搾取され過ぎである。東急グループのようなモラルが著しく欠落している企業、団体等には金を落とさない。生活していく上で不要な物は買わない。嗜好品、車、高価なものはいくら金に余裕あっても購入しない。ライフラインを維持する最低限にしか金を使わない。

クレーマーは消費者の正義

消費者にとってクレーマーとなることは正義である。クレームclaimは「要求(請求・申請)する、主張する」という意味である。クレーマーとは権利を主張することであり、消費者にとっての正義である。消費者に求められていることは泣き寝入りではなく、権利回復のための主張である。企業の広告収入に支えられているマスメディアがクレーマーにマイナスイメージを付与しただけである。消費者はクレーマーと呼ばれることを恐れるのではなく、むしろ誇るべきである。

東急不動産消費者契約法違反訴訟原告が東急不動産を提訴しなければ、東急リバブル東急不動産の卑劣な騙し売り(不利益事実不告知)が隠蔽されたままであった。『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』が出版されることは消費者によって慶事である。

不動産トラブル

不動産トラブルは、明るみに出るのは氷山の一角で、買主が泣き寝入りする例がほとんどであると予想される。一人で悩まれている方も多いと思われる。十年間、不動産業者と戦っているが欠陥工事を認めてもらえない人。設計図通りに建設されなかったためにガレージを持ちながら車庫に車を入れられない人。新築して僅か二年目に白茸が生えてきた人。入居した途端、肌がボロボロになり、シックハウス症候群で苦しむ人。

それ故、不動産トラブルを広く紹介することには大きな意義がある。自分が躓いた石をそのままにしておけば、他の誰かが転んでしまうかもしれない。不動産業界は自浄作用の働きにくい世界であり、消費者が声を上げていくことが今後ますます必要になる。積極的に公開されることの少なかった情報が誰でも簡単に検索できるようになるとことは、東急リバブル東急不動産のような悪徳不動産業者には緊張感をもたらすことになる。

国民生活センター(東京)に寄せられた新築分譲マンションの苦情・相談件数は、1990年度は401件だったが、97年度に初めて2000件を突破。1999年度は90年度の7倍近い2737件に上った。同センターによると、苦情の中身は「さら地の時にはわからなかったが、完成後、基地が見えた」「浴槽の仕様がモデルルームと実際の部屋で異なった」「外光がまったく入らない」「化学工場跡地の土壌汚染について、事前に説明を受けなかった」等がある(「青田売りマンション説明義務「実物見たのと同程度に」」朝日新聞2000年10月30日)。

「社長が覚醒剤をたしなんだり、子会社の社長が猥褻で捕まったりと最近の上場不動産屋は危ない話が多すぎます」(「【読者の声】平和不動産も上場企業、D社も上場企業、もうやめよう乱開発」司法ジャーナル2005年08月22日号)。

不都合な事実の隠蔽

都合の悪い事実を隠して問題物件を売りつけることは悪質な詐欺的商法である。消費者の信頼を嘘やごまかしで踏みにじる悪質な背信行為である。消費者の信頼を踏みにじる行為は到底許されない。消費者の信頼を逆手にとる、東急リバブルや東急不動産の詐欺的販売が許される道理はない。「販売担当者の知識不足だった」では済まされない問題である。三菱地所の土壌汚染隠しに見られるように、国民の安全を脅かし、生命をも奪いうる重大問題である。

企業倫理の観点から見て、弁解の余地なく非倫理的であることは論を待たない。最低限のマナー、モラル、人間としての責任のいかなる点からも正当化されない。上場会社が周到な計画で消費者を欺くなど、自殺行為もいいところである。自らの首を絞める偽装行為であり、浅はかの一語に尽きる。

企業として絶対にあってはならない行為である。このようなトラブルが企業にとって何より大切にしなければならない信用を大きく傷つけてしまうことは間違いない。消費者の信頼を裏切ることは、牛肉偽装事件で解散に追い込まれた雪印食品の例を出すまでもなく、企業そのものの存在さえ危うくしかねないものである。

公正で健全な取引を妨げる重大なルール違反である。購入者への背信となるだけでなく、市場の公正な価格形成を損なう背信行為である。公正さや透明性が原則の経済社会の信頼性をも揺るがしかねない反社会的行為である。市場の混乱につながる可能性もある。資本主義を冒涜する暴挙である。

長年の不明朗な不動産取引のウミが噴出した、前近代的経済事犯である。不動産取引市場が未成熟で不透明な部分を抱えていることの証明にほかならない。常識では信じられない行為に踏み切った背景には、大企業に染みついた驕りや甘えがあったとしか思えない。金儲けのためならば何をやっても構わないという奢りがある。企業モラルの崩壊に危機感を深めざるを得ない。

東急リバブル東急不動産の騙し売りは裏稼業にも劣る卑劣な行いである。きちんとサービスを提供して、その対価を得る。合法ではないだけで裏稼業も全く同じである。しかし、東急リバブル東急不動産は違う。騙して奪うだけである。

詐欺的商法及び不誠実な対応

東急リバブルや東急不動産の詐欺的商法及び不誠実な対応には己の営利を追求する姿勢以外のものは何一つ見出されない。戦後最悪の集団食中毒を起こした雪印乳業や三菱自動車、明治安田生命と何ら変わらない企業である。その無責任・横暴・反倫理性には眼を覆うものがある。

相手が一消費者である限り、いかなる不正を行おうと屑同然の無価値の物件を売却しようと意に返さない。屑物件を言葉巧みに高値で売却し、購入者に人生を滅茶苦茶にする。購入者が屑物件を抱えて住宅ローン破産でもしようものならば「ざまーミロ」と祝杯をあげかねない悪徳不動産業者である。

企業倫理も何もあったものではない。良識とは縁の無い会社である。モラル荒廃が根深く広がっている。腐敗は構造的で、極めて根深い。根底には目的のためには手段を選ばずという経営体質がある。短絡的・近視眼的な営利主義であり、10年後20年後のことを見据えた要素は皆無である。経営姿勢に根源的な問題がある。経営そのものに欠陥がある。利益第一主義の風土が企業倫理や法令順守に背を向けさせ続けている。似たようなトラブルを繰り返しているのは前近代的な経営体質に原因があると言える。

これほど無茶苦茶な会社が今まで存続できたのが不思議なくらいである。今時このような会社が存在しているとは信じられない。業界研究をすればするほど危ない会社と判明する。選んではいけない会社の代名詞である。不誠実の塊であり、消費者不在の姿勢である。消費者を馬鹿にするにもほどがある。信じられない感覚の鈍さである。改革のために必要なことは行わずに、むしろ時勢の流れに逆らうために、法外な時間を費やしている。

罪深さ

多くの購入者にとって不動産は一生に一度あるかないかの大きな買い物である。一生のうちで最大の買い物とも言われる。不動産業者の仕事は物件を紹介して契約を取るだけではない。購入者の不安を払拭し個々のライフプランを聞き、夢を形にしてあげるまでが仕事である。ただ売ればいいというのでは顧客との信用は形成されない。

住民にとって住宅は分譲されたら終わりではない。10年20年経っても「この家を購入してよかった」と思いたいために購入するのが普通である。客を生涯後悔させない、いい物件を紹介してこそ、将来的にも仕事のできる営業である。

「いい家に住みたい」というのは誰もが抱く当たり前の願いである。明るい生活が出来るのも、快適な住まいがあればこそである。しかし悪徳不動産業者はこのような当たり前の願いを腹の中で一蹴する。

東急リバブルや東急不動産の販売手法は購入者の思いを完全に無視し、裏切るものである。消費者の夢をかなえるような素振りをしながら、実は自社の利益しか考えていない。消費者の夢を扱っているにもかかわらず、夢とは正反対の方向を向いている。マイホームへの夢を食い物にして、あの手この手で罠を仕掛けている。余りに卑劣で汚い手口に怒りは収まらない。

一人一人の被害者や、その家族の方々のことを思うと、本当に罪深い企業である。悲惨な境遇を思うと、激しい怒りを禁じ得ない。資金を貯め、ローンを組み、夢のマイホームを購入したのに気の毒である。一生に一度あるかないかの大切な買い物が粉々に打ち砕かれてしまった。

一生懸命選んで購入したにもかかわらず、悪徳不動産業者に騙されてしまい、無価値の物件を抱え、買い替えもままならない。死ぬまでローンを払い続けなければならない。苦しい思いをしてまでも返済するか、借金の上にさらに借金してでも処分するか。住宅を購入しても、結局は借金だけが残るのでは、何のためのマイホームかということになる。

人生を狂わされ、夢を失い、塗炭の苦しみを味わうことになる。膨大な借金を抱え込み、これまで築きあげてきたものの全てを失ってしまう。自らの命を抹殺する人、社会的に抹殺される人、家庭崩壊を招く人、何とかリベンジしょうとしてもあまりの深手で再起できない人、様々である。人生はやり直すことができない。

電化製品ならまだやり直しができるかもしれないが、不動産ではたまらない。もう二度と取り返せないものを失うことになる。賃貸に対する分譲のメリットを語る時に「家賃はドブに捨てるようなもの」と言われるが、我慢して住まなければならないマンションのローンと金利もドブに捨てることと何ら変わらない。

個人の尊厳を踏みにじる企業は許せない。なり振り構わぬ悪徳不動産業者のエゲツナサに対しては、これ以上ないくらいの怒りを覚える。血も涙もない企業である。いくら糾弾しても腹の虫が収まらないほどに腹が立つ。

嘘ばかりつき、悪口ばかり言って消費者から大金を騙し取ってきた。無責任極まりない悪徳不動産業者のことを考えるだけで精神の沃野を汚水で汚される思いになる。東急リバブル及び東急不動産には以下の句を贈りたい。「もういいよ、無駄に生きるな、死んでくれ!生きる価値なし、潔く逝け!」。

不動産市場の特徴

日用品などは売る側も一見客以上にリピーターを期待しているため、顧客満足に注意を払うことが多い。消費者としても粗悪品を売った店からは二度と買わないという形で対応できる。しかし不動産は一生に一度の大きな買い物と言われる。そのため、東急リバブルや東急不動産のような筋金入りの悪徳業者でなくても、売ったら売りっぱなし、どんな物件でも売ってしまえば後は責任なし、後は野となれ山となれ的営業の誘惑に陥りやすい市場構造になっている。

住宅市場の現実は正当派経済学である新古典派経済学が前提とする自由な主体による合理的選択論(自らの効用や利潤を最大化する行為者)とかけ離れている。小市民階級は住宅市場の中で夢を縮小させられ、欺かれ、強請りとられていく(ピエール・ブルデュー著、山田鋭夫・渡辺純子訳、住宅市場の社会経済学、藤原書店、2006年)。

アトラクターズ・ラボ(東京)の沖有人社長は「分譲マンション業界の一部には『売ってしまえば後は知らない』といった風潮がまだある。知識の少ない買い主側は圧倒的に不利だ」と語る(「消費者同士で物件情報交換」共同通信2005年1月3日)。「石川の浜の真砂は尽きるとも、世に悪徳不動産業者の種は尽きまじ」である。

従って、不動産業界においては都合の悪い事実を隠蔽して欠陥物件を売りつける悪徳業者も跋扈しやすい。嘘をついてでも売らなければ、成績が上がらず、給料も職も失ってしまうのが、悪徳企業における不動産営業の実態かもしれない。しかし、だからといって詐欺行為を行うことに同情の余地はない。

悪徳業者が大手を名乗り、堂々と営業している状態が現実であるならば、少なくとも嘘が明らかになったら、もっと大きいペナルティを科さなければ、悪徳商法は抑制されない。重い刑罰が科せられなければ抑止力も働かないから、同様の被害が繰り返される可能性が非常に高い。

東急リバブル東急不動産不買運動と時事

冥王星、惑星から除外

冥王星は惑星から除外される。太陽系の惑星は水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星の8個となる。当初、チェコのプラハで開催中の国際天文学連合総会では惑星の定義を「恒星を周回する天体で、自己の重力でほぼ球形になるもの」とする案が審議されていた。

この定義では火星と木星の間に位置する最大の小惑星「セレス」、冥王星の衛星とみなされてきた「カロン」、2005年夏に米航空宇宙局NASAが「第10惑星」と発表した「2003UB313」が、新たに惑星の仲間入りをする。将来的には冥王星と同程度の大きさの小天体は観測技術の向上で次々と見つかる可能性が高い。その結果、惑星の総数が収拾がつかないほど増えてしまいかねない(「太陽系12惑星 新定義「自己重力で球形」提案 候補さらに12個」産経新聞2006年8月17日)。

定義案には批判が続出し、最終案では冥王星は惑星から除外された(「<太陽系惑星>冥王星除外 学会の議論二転三転」毎日新聞2006年8月24日)。冥王星を惑星とする根拠は「これまで惑星として位置付けられてきた」のみである。現状肯定よりも理論が勝利した結果である。

東急リバブル東急不動産も騙し売りの現実を正当化するのではなく、不正の是正に努めるべきである。そもそも東急リバブル東急不動産は不動産業界の冥王星である。汚い手段を使って免許を維持したところで、宅地建物取引業者としての基準も資質も何ら満たしてない。やがて宅地建物取引業者から除外されることは明白である。

国宝 風神雷神図屏風 ―宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造―

俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の風神雷神図屏風を集めた展覧会である。出光美術館で開催している。尾形光琳や酒井抱一は先人を慕い、風神雷神図屏風の模作を描いた。後世から慕われる作品を残せる芸術家は幸福である。東急リバブル東急不動産の仕事では絶対にあり得ないことである。

スタートレック

アンドリア人(むじん君星人のイメージ)の女士官が戦闘で死亡するシーンがある。彼女を看取った上官が故人を偲び語り始めた。「彼女は良家の出身だった。好きな仕事も選べたし、楽な暮らしをしようと思えばできた。だが彼女は使命感から帝国防衛軍に人生を捧げた…」 。このくだりで涙が出そうになる。東急リバブル東急不動産には全く存在しないタイプである。

流行語大賞は「イナバウアー」「品格」

今年1年間に流行した言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞 2006」が2006年12月1日に発表された。大賞は「イナバウアー」と「品格」で、トップテンには「ミクシィ」(mixi)や「脳トレ」も入った。

トップテンにはこのほか「エロカッコイイ」(エロカワイイ)「格差社会」「シンジラレナ〜イ」「たらこ・たらこ・たらこ」「ハンカチ王子」「メタボリックシンドローム」(メタボ)が入っている。

流行語大賞は、候補語60語から選ばれた。候補語には「ユーチューブ」(YouTube)や「GyaO」などネット関連の用語や、「ツンデレラ」など一般には耳慣れない語句もラインアップされていた。「東急リバブル東急不動産不買運動」「東急不買」は来年以降の流行が期待される。

リメンバー・パールハーバー

米国では日本軍の騙し討ちから「真珠湾を忘れるな」という言葉が生まれた。日本時間1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日)に日本海軍はアメリカ合衆国ハワイの真珠湾のアメリカ海軍のアメリカ太平洋艦隊と航空基地に対して行った奇襲攻撃を行った(真珠湾攻撃)。米国では毎年、12月7日 (現地時間) には追悼式典を開催する。50周年のような「節目の年」には、ひときわ盛大に行う。

同様に東急リバブル東急不動産の騙し売りも忘れてはならない。山部宿禰赤人ならば万葉集に収録された富士山の歌のように「語り継ぎ 言い継ぎ行かむ 東急リバブル東急不動産の騙し売り」と詠むだろう。

硫黄島からの手紙

東急リバブル東急不動産従業員は、下らない陰謀を繰り返す暇があるなら、「硫黄島からの手紙」の映画でも見て、心を清めてきたらどうか。散っていった英霊達は、日本人の中に東急リバブル東急不動産従業員のような情けない蛆虫がいることを嘆いているだろう。

栗林忠道中将は東急リバブル東急不動産不買運動の奮闘に対し、以下のように言うだろう。「敵来攻以来、麾下将兵の敢闘は真に鬼神を哭しむるものあり。特に想像を超えたる物量的優勢を以てする東急リバブル東急不動産よりの攻撃に対し、宛然徒手空拳を以て克く健闘を続けたるは、小職自ら聊か悦びとする所なり。」

タイム誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーは「あなた」

米誌タイムは2006年12月16日、年末恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」(今年の人)を発表した。世界中の各個人がインターネットを通じて情報や動画を自由に発信し、それが世界に大きな影響を与える時代に入ったとして、一般市民を指す「あなた」を選んだ。東急リバブル東急不動産不買運動もインターネットを通じて東急リバブル東急不動産の騙し売り情報を果敢に発信した。パーソン・オブ・ザ・イヤーを構成する一部である。

18日に店頭に並ぶタイム最新号の表紙にはコンピューターが描かれ、その画面部分には反射する素材を使用。同誌を手に取った人の顔が映るよう工夫することで「今年の人」が「あなた」自身であることを示した(「米タイム、今年の人は「あなた」」日本経済新聞2006年12月17日)。

のまネコ問題

著作権違反疑惑「のまネコ問題」において、エイベックス・グループ・ホールディングスは「のまネコ」の商標登録出願断念に追い込まれた(「<のまネコ問題>エイベックスが商標登録を中止へ」毎日新聞2005年9月30日)。その後、ぬいぐるみなどの「のまネコグッズ」について、同社が受け取る契約になっているキャラクター使用料を一切受け取らないと発表した(「のまネコ:キャラクター使用料受け取らず エイベックス」毎日新聞2005年10月12日)。

今回の結果は「掲示板で自然発生的に登場したキャラクター『モナー』を特定企業が改変して金儲けに使うのは納得できない」「「エイベックスが収益を得るのはおかしい」」という消費者の批判によるものである。地味な活動でも、確実に大きな流れを起こせることが証明された。

「「のまネコ問題」以降、ネットユーザーの間で、エイベックスに対しての批判は根強い」(「糾弾されるアーティストやマンガ家パクリ疑惑が止まらない本当の理由」日経エンタティメント2006年2月号21頁)。


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