日本海賊TV住民投票の過去と未来

日本海賊TVは2014年10月22日にシリーズ「直接民主主義と住民投票」第1回「住民投票の過去と未来」をニコニコ生放送などで放送した。ゲストはスコットランド独立投票を取材したジャーナリストの大芝健太郎氏である。司会は山口あずさ氏(私が東京を変える代表)である。聞き手は大北三郎氏(国債救助隊)、増井麻里子氏(国際経済アナリスト、Ygg代表)、林田力氏(希望のまち東京in東部共同代表)である。

大芝氏は直接民主主義的な住民投票の意義を熱く語った。住民投票は多数決ではない。住民投票によって様々な場所で議論が行われると指摘した。

日本では現状の政治に不満を抱く人も含めて住民投票に対して抵抗感がある。たとえば以下の主張である。「住民の意見を幅広く聞く意味で『住民投票』をやりましょう、などというのも自ら決定する意思能力の欠けた対応と考えざるをえません」(牧野知弘『空き家問題 1000万戸の衝撃』祥伝社、2014年、216頁)。聞き手として参加して、住民投票の是非について、噛み合った議論になりにくい背景が理解できた。住民投票の抵抗感を私なりに分析すると以下の要因がある。

第一に護憲ドグマである。護憲派が直接民主主義に抵抗感を抱くことには理由がある。まず憲法改正の国民投票につながることへの懸念である。これについては日本国憲法自身が改正手続きを定めており、何がなんでも改正させないという姿勢の方が反憲法的であると反論できる。

次に憲法自身も間接民主主義を採用していることである。前文には「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」とある。このために憲法の根連を尊重するならば、間接民主主義という結論になる。

最後にステレオタイプな護憲派の傾向として、憲法が広く国民に支持されているから憲法を守ろうというスタンスではない。憲法が素晴らしいからであり、それは自分達が少数派でも貫こうとしている。皆で決めて、その決定ならば納得できるという住民投票推進者とはギャップがある。

第二に古典的な近代政治学ドグマである。政治への見識のある人こそ住民投票に消極的という面がある。そこには古代ギリシアのポリスは直接民主主義で、近代国民国家では間接民主主義になったという直線的な歴史観がある。直接民主主義は過去の遺物で、間接民主主義が発展型という見方である。

また、現代の事例ではフランスのイメージが強い。大統領の権限強化のために大統領の発意で国民投票が行われる。大統領にとって議会で賛成を得られる見込みがあれば議会に議案を提出し、なければ国民投票を利用できる。これは議会軽視、行政の権限強化につながる。これを念頭に置いて住民投票を論じる人々と、常設型住民投票を求める人々の間には議論の前提が異なる。この点で大芝氏によるリトアニアやスコットランドの住民投票事例の紹介は古典的な政治学で固定化された直接民主主義のイメージの一新になる。

第三に熟慮民主主義のイメージのギャップである。住民投票は仕組みとしては、賛成か反対か投票するだけである。文字通り多数決の意思決定になる。これに対して議会はいきなり採決するのではなく、審議の手続きが定められている。議会制民主主義こそが多数決民主主義に陥らない熟慮民主主義の場ではないか。現状の議会に問題があるならば、議会を改革することが筋との主張も十分に成り立つ。

これに対し、住民投票推進側は住民投票という結果だけでなく、投票までの広範な議論という点を重視する。それは住民投票の付随的効果ではなく、本質的機能であるのか。また、それは住民投票でなければ達成できないものなのか、というところがポイントになるだろう。

第四に賛成か反対かという二者択一で決められる問題かという疑問である。スコットランド独立にしても脱原発にしても、このような形ならば賛成と言えても、無条件で賛成という訳ではない。たとえば大不況になっても賛成するかという問題である。

これも住民投票を契機とした幅広い議論の効果をどう見るかによる。スコットランドの投票は反対派の勝利に終わったが、現状維持の勝利ではない。自治権拡大が約束されたからこそ、反対が上回ったと分析できる。ここでは単に賛成か反対かではないと見ることはできる。



林田力

Designed by CSS.Design Sample

inserted by FC2 system